
どうも、いさみ編集局長です。本日は新選組の近藤勇に関するお話であります。
西光寺にある近藤勇の銅像の横にある招魂碑をみて歴ヲタとして感激したお話
上石原の西光寺さまに近藤勇の銅像があることをご存じの方は多いかと思うのですが、銅像の横にある石碑にもエピソードがあるのです。
これですこれ。左側にある石碑ですね。

こちらの石碑なんですが招魂碑となっておりまして、説明と由来の説明がちゃんとあったりします。

コチラで祀られている皆様は、西南戦争において出戦し戦死された6名のかたの招魂碑だそうです。
周辺の6つの村の戦死者の皆様のお名前が書いてあるのですが、上石原村からは秋輪次郎氏が戦死。明治十一年には招魂碑が完成。老朽化もあって昭和十三年にも再度大きな修繕があったようです。
歴史大好きおじさんの私としましては、近藤勇局長の銅像の横に、近藤勇の出生地から西南戦争を戦われた方の招魂碑があることは、なんとも運命的なものを感じてしまいますね。
幕末、西軍に押された幕府軍。(私の歴史研究では、幕府軍は勤王の立場でありますので、あえて幕府軍と西軍の記載でいきます)上石原村出身の近藤勇は捕縛されて板橋で処刑されているのですが、その上石原村の秋輪次郎氏が西南戦争で闘ったというのは敵討ちなドラマを感じがしてしまう私であります。
因みになのですが、近藤勇の処遇を決定したのは自由は死せずの板垣退助ら現地総督府であり、薩摩藩が関与した記録はないそうです。また、板垣退助に関しては日光東照宮を戦場にしなかったなど英断の記録もあったりしまして、なんというか坂本龍馬愛も判断にはあったのかもしれませんね。
また、島津斉彬公、薩摩という開明派がいなければ、日本は西欧列強に支配されていたかもしれませんので、東西ともに正義をもって国家の為に戦ったとは思っております。(そういった意味で、どちらかを賊扱いしたくないとご理解いただければと思います)
※因みに好きな大河ドラマは「翔ぶが如く」と「新選組!」です(笑)
因みに、ちょうふ通信の頑張りに真っ先に声をかけてきてくれた行政さんは鹿児島県日置市さんでして、本当に心の温かい大きな人たちであります。
↓こちら、縁を繋いでくださった鹿児島市の素敵なローカルサイト
↓こちら日置市の皆さんが運営しているローカルサイト
鹿児島県日置市、鹿児島市はめっちゃいいところであります!!(飯が美味い!人が温かい!歴史がある!えとせとら えとせとら)
あと、石碑の話に戻りますが、上石原の大賢人として尊敬しております高橋商事の高橋さんから聞いた話によると、明治の時代は近藤勇の出身地ということで上石原は大変だったこともあったので、新政府からみた地域の名誉挽回の為にも六勇士含む地元の皆さんは必死に戦ったのではないかとも教えていただきました。
地元に歴史あり。そしてドラマあり。上石原にお出かけの際はぜひ、西光寺さまの近藤勇銅像の横の招魂碑もぜひご覧いただければと思います。
西光寺
〒182-0035 東京都調布市上石原1-28-3
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コメント
コメント一覧 (2)
先祖が長州藩士の自分としてはなんか複雑な気分
chofucity
が
しました
長州藩は関ヶ原で石高を減らされた恨みを徳川に果たしたこともあり、これも敵討ちみたいなものですので。
因みに妻の先祖は長州藩です☺️ 更に今思えば、私の幕末好きの始まりは、高杉晋作の奇兵隊ですね。
確か、松平健さんが演じた奇兵隊の作品があり、少年時代にそれを観たのがきっかけでした。
chofucity
が
しました